2013年11月14日

一年近く放置してました(^_^;)ゞ

 仕事に趣味にと奔走していたら、気付けば一年近くも放置…
にも関わらず、今も覗いて下さる方がいらっしゃるようなので、
ここらで生存報告と、以前書いた記事に関する補足を少々。
 
 まず、私は元気です。ただ、体重の増加にかなり悩んでます。
今はあまり体を動かさない仕事なので、食生活を見直しつつ、
軽めで良いから筋トレを再開して割れた腹筋を取り戻したい…
次に、気は進みませんが、以前書いた記事の補足についてです。
以前の相方、清原紘氏のことなのですが、おかしなメールが
あったので、これだけはハッキリ書いておこうと思いました。

 私は約束を反故にされたことと、その後の態度に精神的な
苦痛を感じていたので事実を公表しました。今後何があっても、
彼とその両親は、私にとって一切の信用に値しない人達です。
しかし、私が何を書いたところで、現在の彼の仕事に関しては
人間性を問わず、作家として正当に評価するべきだと考えます。

 コンビを組んでいた頃の清原氏は責任感や危機感が希薄で、
チャンスがあっても自ら潰して開き直るような男でした。
そんな彼が現在活躍出来ているということは、原稿に対して
責任とプライドを持てるようになった結果だと思います。
今でも心から言えますが、彼の能力は素晴らしいモノです。

 以上です。時間が出来たらまた更新しますね。
posted by オカ at 01:10| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月31日

猫闘 全4話

 本当にギリギリですが、何とか年内に間に合いました。
小分けにすると次はいつ時間が取れるかわからないので、
一気に全話アップします。これで少しは嬉しいコメントを
下さった方々への御恩返しが出来るかな?w

第一話
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第二話
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第三話
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第4話
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 これが週刊少年チャンピオンで発表出来た最後の作品
となりました。色々な思い出がありますが、今は昔ですね。
実は今年に入って当時の担当さんから復活を提案された
こともあったんですが… 虚しくなるから書くの止めよ…

 幸いというか、俺自身は仕事をしながら執筆活動も続け
られてたりします。プライベートな時間を利用しての活動
なので趣味のレベルは脱しませんが、使って貰える出版社
がちゃんとあるのは本当に有難い。今も御世話になってる
某社の担当さんにはただただ感謝ですm(_ _)m

 あまり長々書いている時間が無いので纏めに入ります。
解散して随分経つのに、今も暖かいコメントを下さる方が
いらっしゃいます。本当に有難いです。それだけで自分の
やって来たことが無駄じゃなかったと思えます。当時とは
スタンスこそ違いますが、俺が今も漫画と向き合えるのは
コメントに勇気付けらた部分も少なからずあると思います。
改めて言わせて下さい。 本当に有難う御座います!

 以上です。それでは、よいお年をm(_ _)m
posted by オカ at 03:58| 猫闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月30日

更新する時間が…

 更新する時間が取れず、放置状態が続いてますm(_ _)m
猫闘のアップを待ってますというコメントも頂いてますので、
何とか今年中に纏めてアップしたいと思ってはいますが…

 本当に忙しいんで生存報告だけです。やりたいことやって
ロスした時間がある分だけ、今は必死にやらにゃ(^_^;)ゞ
posted by オカ at 17:41| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月26日

元相方 『 清原 紘 』 氏とのこと…

 私は無宗教なので誓いを立てる特定の神様はいませんが、
それでもこの記事で書くことは全て真実だと神に誓います。

 過去から開放されるため、10年の沈黙を破って書きます。
長い記事になるので、感情的な部分は出来るだけ抑えて、
実際の出来事を誇張すること無く書き纏めたいと思います。
ただ、本当にキツイ部分はオブラートに包ませて頂きます。
私自身の精神安定のためですので悪しからず。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 私には、ヤスとコンビを組む前に一緒に漫画を描いていた
別の相方がいました。それが漫画家の 『 清原 紘 』 氏です。
私は彼と彼の両親から受けた仕打ちを一生忘れられません。
裏切られ、脅され、挙句に約束を反故にされ開き直られる…
当初は人間不信と不眠症に陥り、約束を反故にされてからは
未だに夢で魘される、本当に辛い経験でした。

 彼は高校の後輩で、私が考えた小さな計画に彼が参加した
ところから付き合いが始まり、思い付きからコンビを組んで
漫画を描くことになって、一気に近しい関係になりました。
処女作は賞を獲れなかったものの、選外の次点作品として
名前だけ載りました。方向性を変えた次の作品では賞を頂き、
受賞作をリメイクしてデビューすることが出来ました。
その後は短期連載用のネームを進めつつ、アニメと絡んだ
メディアミックスの候補者としてコンペにも参加しました。
コンペでは、ショート漫画までは相当な高評価を得ていたと
聞かされていましたが、最終のキャラ設定画で落ちました。

 当然の結果です。設定画ということで「任せて」と言った
清原氏に任せた結果、担当さんに言われた締切当日で0枚。
私が御願いして締切を延ばして貰って描き上がった作品は、
顔だけがオリジナルで、体は手持ちの画集や資料集を見て
そのままのポーズを描いた物ばかり。男キャラに至っては
与えられたアニメ版の参考画をほぼそのまま描き写す始末。
熱意が感じられず、カット数も少ない設定画が計8枚程…
他の候補者はこの最終審査を乗り越えて連載を勝ち取ろうと
必死だったので、選ばれる訳がありませんでした。

 コンペの結果は大変残念でしたが、まだ短期連載の話が
残っていたので、気を取り直してネームを再開しました。
一話目が通り、二話目… そこで担当さんとの間に作品の
方向性で相違が生じたので、清原氏と二人で話し合いました。
その結果、取り敢えず自分達の思うように描き、その上で
担当さんに意見を聞くということで意見が纏まりました。
併せて、私が大学4年生だったこともあり、今後についても
話し合った結果、まずは二年間という期限を決め、一緒に
上京して本気で漫画家を目指そうということになりました。

 経済的な問題を考え、共同生活をすることになりました。
出版社へのアクセスと家賃を考えて場所は千葉。御互いの
プライベート空間を確保出来るよう2DK以上の間取り必須…
希望条件を満たした物件は、当時横浜に住んでいた私の母が
現地に足を何度も運んで探してくれました。卒業後直ぐに
私が引越しをして共同生活の準備を整え、清原氏は私から
遅れること約一箇月半後に入居することになりました。
貴重な時間を無駄には出来ないので、清原氏が千葉に移る
までの間に、御互いがやるべきことを決めておきました。

 私は当時書いていた脚本の続きと、生活の基盤作りを。
家を共同生活が出来る状態にして、自分のバイト先を決める。
更には清原氏のバイト先の候補を探しました。元々彼は
ゲームセンターでバイトしていたので、慣れた仕事の方が
新しい生活への順応も早かろうと思い、彼の上京に合わせて
募集の掛かっていたバイト先候補を見繕いました。
対して清原氏。引越に関しては、画材、資料、衣類、趣味の
私物を持ち込むだけと、私が事前に環境を整える分、比較的
身軽に移れるようにしていたので、当時描いていた原稿を、
事前に相談して決めた分だけ進めておく約束をしました。
彼が上京するまでの間は、週に一・二度電話連絡を取り合い、
近況や作業状況を報告し合いました。

 忙しなく動き回っている内に時間は過ぎ、ついに清原氏が
上京して来ました。そして私は愕然としました。上京前には
電話の度に「ちゃんとやってるよ」と言っていた原稿作業が、
実際は全くと言って良い程進んでいなかったのです。結果が
出ずとも後悔しないだけの努力をすると誓い合って決めた
上京だけに、笑って許すことは出来ませんでした。サボった
分を取り戻すべく、原稿に集中するよう厳しく言いました。
ですが彼は、自分の無責任が招いた結果を棚に上げ、厳しく
言われたことに不満を覚えて悪い方向に開き直りました。

 上京初日から、清原氏が自発的に原稿を進めることは全く
ありませんでした。睡眠時間は長く、起きてもすることは
TVを見るかゲームをするか。バイト以外の外出も頻繁でした。
何とか机に向かわせても、漫画を読んだり音楽を聴くだけ。
取り組む姿勢を注意すれば、原稿に少し線を引くだけで終了。
「サボった分どうこうじゃなく、毎日少しずつでも進めよう。
 その積み重ねで原稿と向き合う時間を着実に延ばそう。」

そう言って彼に気持ちの切り替えを促したりもしましたが、
開き直っている彼は聞く耳を持たず、無気力な姿を見せ付け
られる毎日でした。あまりにも情けない状況で、涙ながらに
改善を訴えたこともありましたが、全て無駄なことでした。

 そんな状況が十日程続くと、清原氏は私の外出を見計らい
家を出て行きました。残された置き手紙の恐ろしく一方的な
内容に愕然。完全な責任放棄でした。しかも彼は出て行く際、
自分に必要な物のみ纏めて実家に発送。不要と判断した物や
嵩張る物は邪魔になる為そのまま置き逃げし、手紙の中には
『そちらで処分して下さい』というとんでもないメッセージ。
更に言えば、彼が持ち出した物の中には私が購入した私物や、
折半して購入した画材等も複数ありました。そんな身勝手に
納得出来る筈もなく、何とかして連絡を取ろうと思い電話や
メールを繰り返しましたが、着信拒否をされていました。

 とにかく動かねばと思い、清原氏のバイト先へ行きました。
そこでは彼が事実を捻じ曲げて私の話題を出していたために
かなり警戒されましたが、順を追って説明して行くことで
理解して貰い、彼と比較的仲が良かった人と話が出来ました。
しかし、残念ながら聞けたことと言えば、バイト先で私への
不満や悪口をよく言っていたということと、私が店を訪ねる
数時間前に突然バイトを辞めるとの電話があったということ
だけでした。店側も、シフトの穴埋めに困っていました。

 清原氏が家を出て数日後、やっと携帯に連絡が着いたので
今後のことを直に話し合う約束をしました。しかし、当日に
なって一方的にキャンセル。事前に結んでいた約束事を含め、
責任の取り方は親に任せるとのメールを送り付けられ、またも
音信不通になりました。その後は連絡をして来た彼の母親と
不本意ながら電話とメールでやりとりをしましたが、上京に
至る経緯や約束事等、彼が自身の不利に働くことを一切説明
していないような感じで、全く話が噛み合いませんでした。

 そんな不毛な状況が続いたある日、深夜1時を過ぎて突然
電話が鳴りました。こんな夜中に誰かと思えば、相手は何と
清原氏の父親でした。彼の父親は開口一番から高圧的な口調。
滅茶苦茶な屁理屈で息子である清原氏の擁護を始めました。
私が経緯を説明しようとしても、「そんな話は聞いてない。」
「そんなこと知るかよ!」と言葉を遮って話しになりません。
事前に彼の母親から彼が父親の元にいると聞かされていた為、
話しを進展させようと清原氏本人を電話口に出してくれるよう
何度もお願いしましたが、「駄目だ!」「うるせーガキだ!」
「減らず口叩きやがって!」といった感じに、何度も罵声を
浴びせ掛けられました。結局、終始暴言を吐き続けるだけで
何一つ進展無く深夜の電話は終わりました。

 その後、清原氏の父親と電話で二度話し合いを行った結果、
彼が放置していった不要品の回収も兼ねて、彼の両親が家に
来ることになりました。私としては早くケリをつけたい問題
だったので望むところでした。尚、この頃私の頭には一つの
格言が響いていました。『子は親を映す鏡』という言葉です。
こんな形で身を持って知ることになるとは思いませんでした。

 清原氏の両親がやって来ました。まずは不要物の回収です。
既に幾つかは知人に引き取って貰っていましたが、その中に
PCが含まれていると判ると、彼の母親は軽く舌打ちしました。
無意識に出たのかも知れませんが、やられた方は忘れません。
乗って来たワゴン車に荷物の積込みが終わると、場所を変えて
ファミレスで話し合うことになりました。

 話し合うにあたり清原氏の父親がまず初めに言った言葉は、
「ここで滅茶苦茶なことを言えば君に不利に働く。」でした。
何の脅しか知りませんが、既に電話で散々罵声を浴びせ掛けて
おきながらです。でもこれは始まりでしかありませんでした。
その後も、彼の父親は信じられない言葉を吐き続けました。
「君のお父さんは立場のある人間らしいな。こっちの提案を
 飲まなければ、俺は全力で君と君の家族を潰しに掛かる。」

「可哀相だから契約した二年間は家賃の半分を出してやる。」
腹立たしく、様々な感情が渦巻きましたが、話しを進めます。

 清原氏は私に幾らか借金をしていたので、その整理も含めて
彼の父親が金額を弾き出しました。家賃の問題と借金の清算。
解決しなければならない最初の問題が片付くのかと思いきや、
彼の父親はここで値引きを要求して、更に続けて言いました。
「息子と何を約束したのか知らないが、約束なんて無意味だ。
 息子が漫画家になったら今約束した金とは別で礼はさせる。
 だから約束は無かったことにして、これで納得しろ。」

私と清原氏の間で交わしていた約束。その中には途中で責任を
放棄した場合のことも含まれていましたが、御構い無しです。
一方的に提案し、「納得しなければ潰す」と何度も脅してくる
彼の父親。開いた口が塞がらず、話すだけ無駄と感じました。

 馬鹿馬鹿し過ぎて、色んなことがどうでも良くなりました。
不本意ながら許容範囲内で値引きにも応じました。これ以上
不愉快な話を聞きたくないという一心からです。後はただ、
「親の責任で人として守らせる。」と清原氏の父親が言った、
『清原氏が漫画家になったら』という条件付きで発生する
『別の礼』とやらを、期待せずに待てば良いと思いました。

 「口喧しいガキだと思ってたけど話が付いて良かったよ。」
話しを終えて、別れ際に清原氏の父親に言われた言葉です。
不快感を押し込めて、作り笑顔で彼の両親を見送りました。
そしてその翌日、清原氏本人から電話で謝罪を受けました。
言いたいことは腐るほどありましたが、既に違えた道です。
「滅茶苦茶なことやっても親は必死に守ってくれるんだから、
 ちゃんと感謝して、これからは何事も真剣に取り組めよ。」

感情を抑えて、今後の成長を促すに止めました。

 歳相応に恥ずかしくない対応が出来たと今でも思います。
しかし、少しして彼の母親から電話が入り、不機嫌そうに
「何?まだ何か文句あるの?」と言われました。突然で訳が
わかりませんでしたが、清原氏に言った話の内容をそのまま
伝えると、「あっそう。それならいいや。」と言って電話を
切られました。恐らくは、私の言葉を清原氏が面白おかしく
捻じ曲げて、挑発的に母親に伝えたのだろうと思います。
最後まで不愉快な思いをして、謝罪の信憑性も疑いました。

 その後は人間不信と不眠症に悩まされましたが、友達の
暖かさにも救われて、早い段階で持ち直すことが出来ました。
同郷ということもあって、地元に戻った清原氏が私のことを
周りにどう言っているか等の噂は耳にしましたが、噂に踊ら
されても仕方がないので極力気にしないように努めました。
何より、彼が何を言おうが、私のことを理解してくれている
友達が私を信じてくれていれば良い。そう思えました。

 落ち着いてからはヤスと組んだこともあり、自分自身の
活動に集中していましたが、訳あって清原氏と連絡を取る
機会が訪れました。その際に当時のこともメールでやりとり
することになったのですが、そこで私と彼の両親との間で
出した答えに対して、私としては大変許し難い、清原氏の
理不尽な解釈を知ることになりました。

 清原氏は当時、自身の責任問題を解決するために両親を
代理に立てました。問題を起こした当人が逃げて、後始末を
身内に任せたのです。彼が望んでそうしたのです。であれば、
私と彼の両親との間で出た答えは、当然彼が従うべき結論
だと思います。ですが、その件に触れた彼のメールは、
『そんな約束は知らないからその気も無い。その約束をした
 父親は問題起こして蒸発したからもう自分とは関係無い。』

そう言わんばかりの内容で、本当に信じられませんでした。
清原家の後日談など、それこそ私には関係無いことなのに、
それを理由にまた反故にしようと言うのです。

 怒りを堪えるのに必死でした。初めから清原氏が漫画家に
なった場合の謝礼など、当てにはしていません。それでも、
彼が人間的に成長して、本気で取組んだ結果漫画家になり、
「あの時は申し訳なかった」と、手土産の一つでも持って
謝罪に来てくれれば、それで私は全てを許すつもりでした。
彼が漫画家として再デビューしたことを人伝に聞いてからも、
いつかその時が来るのをただ待ち続けようと思っていました。
それだけに、彼の馬鹿げた開き直り方は許せませんでした。
その場は清原氏の考えに異議を唱えてこちらの考えを伝え
るに留めましたが、大きな不快感が残り、その日からまた、
頻繁に当時の悪夢に魘されるようになりました。

 これが私と清原氏との経緯。その後数年が経ち、彼は作家
としてそれなりの地位を確立したように思います。彼自身が
努力した結果なので、それ自体は大変素晴らしいことです。
ですが、彼の状況が変わってもこちらに対するアクションが
無いということが、許し難い馬鹿げた開き直りが本心である
ことも示していたので、私も決断せざるを得ませんでした。

 2010年に清原氏のWebサイトを通じて決断を伝えました。
活動を共にしていた期間に制作したイラストや漫画で、現在
私が所有している作品については、然るべきタイミングで
金銭に変えて、清原家が反故にした約束の補填とすること。
文句は言わせません。本来は別の理由からですが、それらに
発生する権利は全て私個人の物とするということで納得させ、
袂を分かった際に書面上で署名捺印させています。

 過去から開放されるべく、事実の公表に踏み切りました。
清原氏との過去を綴ることを恥とは思いません。何故なら、
彼に振り回されて多くの実害を受け、約束も反故にされた。
こんなふざけた扱いを受けて黙っていることの方が愚かだと
思えるからです。そんな泣き寝入りのような真似をすれば、
清原家に屈したも同然で、彼等を喜ばせるだけでしょう。

 以上で清原紘氏との間で起きた過去の告白を終了します。
これで気持ちの上でもピリオドを打てたので、今後は悪夢に
魘されること無く、強く生きて行きたいと思います。


9/6追記

 やはり自分を偽るのは良くないので、一点だけ訂正。
このような過去を公表すること、かなり情けなく思っています。
ですが、考えれば考える程、黙っていることの方が遥かに
耐えられないことなので公表に踏み切りました。 なるべく
感情的にならぬよう端的に書き綴った結果、かなり稚拙な
文章になりましたが、事実を纏めるという目的は果たせたと
思うので気にしないことにします。

 改めて宣言しますが、当記事に嘘偽りは一切ありません。
事実だと証明出来る材料(清原氏の置き手紙やメール等)は
しっかり残しています。今にして思えば、滅茶苦茶な脅しを
掛けてくる彼の父親が出てきた時点で警察の手を借りれば
良かったと後悔しています。当時の私は彼の将来性を考えて
自分が耐えることを選びましたが、愚かな判断でした。
posted by オカ at 02:40| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

DとEの回答

 また長く放置してしまった…
では、今更過ぎて大変申し訳無いですが、Q&Aの回答をば。


D言える範囲で、解散に至った一番の理由は?

 『 仕事 』 というモノに対する意識の違いと、温度差です。
当時御世話になっていた担当さんに言われた言葉があります。
「 やって当たり前のことを、当たり前のようにやって下さい。」
担当さんの言う当たり前は、私にとっても当たり前でしたが、
ヤスにとってはそうでなかった。簡単に言えばそれが全てです。
馬鹿げた話は沢山ありますが、具体的な事例は差し控えます。



Eコンビを解散した場合、作品の権利はどうなる?

 これは状況次第なので、様々なケースがあると思います。
あくまで 『 にくぼしの場合 』 での説明をするのであれば、
本来は半々で持つ権利を、ヤスが権利を放棄するという形で
全て私個人の物となりました。解散に至る理由や状況等で
多々問題があったので、弁護士に仲介を依頼した結果です。
後々揉めなくて済むよう公正証書も取りました。



 正直、この2つの質問は興味本位のようにも感じたので、
答える必要無いな…とも思いましたが、敢えて答えました。
具体的に事例を上げなければ今更隠すことでもないので、
如何に悲惨な状況だったかを想像して笑ってやって下さい。

 今回のQ&Aはこんなところです。次の更新は5月かな?
俺がずっと抱え込み、苦しんで来た過去との決別になります。
現役作家である元相方のファンに恨まれるかも知れませんが、
10年経つ今も悩まされる精神的な苦痛から解放されるため、
実際に起きたことを脚色することなく告白するつもりです。

 以上。改めて宣言もしたから、気合を入れて仕事に励む!
posted by オカ at 00:42| Q&A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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